19章は出エジプト記のクライマックスとも言うべき場面です。私事ですが19章16節から19節を読む度に、初めてここを読んで感動し涙がこぼれた時のことを思い出します。信仰者でなくてもグイグイ引き込まれてつい夢中になってしまう大迫力物語、少なくとも20章の途中までは。説教でも触れますがこの19章は整合性に欠けるために本書の中でも難解な部分と言われます。

 例えばモーセがシナイ山を上り下りする記述では、まず3節で彼は主の御許に登って行き7節で民の宿営地に戻っています。次に14節に民のところに下って行きとあるので、その前に登ったことが裏付けられます。そして20節では、主がモーセをシナイ山の頂きに呼び寄せられたのでモーセは登って行った。そこで主はこう言われるのです。さあ、下って行き、あなたはアロンと共に登って来なさいと…。まるで家の1階と2階を往復しているかのような軽さですが19章の伝承に従って登山するならば余りに過酷で暑さと体力の消耗とで意識を失うほどだと、ものの本にありました。

 モーセの登山は人間業ではなかったことになります。また主の顕現に伴って雷鳴と稲妻が人々を震え上がらせるほどに響き渡った箇所、私など甚く感動したのですがシナイの荒れ野では雷は鳴らない、なんて話もあります。でもたとえ人の知識や常識に照らして整合性を欠いていたとしてもやっぱり感動以外ありません。神さまの超越性は人に計り知ることなど出来ないのです。既成概念から自由にされて神さまの世界に遊ぼうではありませんか。