パウロのローマ教会への祈りのリクエストの2つ目は、エルサレムに対する私の奉仕が聖なる者たちに歓迎されるように、というものでした。パウロはエルサレム教会の困窮に対する支援をヨーロッパの諸教会に呼びかけました。福音という尊い霊の糧を頂いたお返しに肉の糧をお贈りするのは義務ではないか、との考えにヨーロッパのキリスト者たちも賛同し、自分たちも貧しさに苦しみながらも力以上に喜んで献げたのです。それを、エルサレム教会が喜ばないとすればそれは何故なのでしょうか。
実はエルサレム教会にはパウロの宣教に疑義を唱えるユダヤ人キリスト者が少なからずいたのです。実際にパウロがエルサレムに到着して、教会の主だった人々に伝道旅行の報告をしている場面での、ヤコブの発言を読みます。
「兄弟よ、ご存じのように、幾万人ものユダヤ人が信者になって、皆熱心に律法を守っています。この人たちがあなたについて聞かされているところによると、あなたは異邦人の間にいる全ユダヤ人に対して、『子供に割礼を施すな。慣習に従うな』と言って、モーセから離れるように教えているとのことです。」使徒21:20-21
完全な誤解です。パウロの働きの結実とは「エルサレム教会とアジア、ヨーロッパの異邦人教会とが同じ信仰によって結ばれること」でした。しかし彼はエルサレムで嫌われ、誤解され、あらぬ悪口を言われ続けたのです。それでも気落ちしないで忍耐強く自らの使命を全うしようとしたのでした。パウロのその忍耐があって私たちが今在ることを覚えたいと思います。