パウロは、幻の中で神さまから「語り続けよ。黙っているな。」と励まされ、私が共にいるとの約束を頂きました。心にあった恐れが消えたのでしょうか、彼はコリントで1年6か月以上留まり続け、人々に福音を語り続けたのでした。

さてガリオンという人が、アテネやコリントを含むアカイア州の地方総督として任務に就いていたのがAD51年頃から2年あまりと言われます。ローマ帝国にあった数多くの属州の総督は絶大な権力を有しており、その民(被植民)を裁く権限をも与えられていました。ということは被植民にはお互いを裁く権限がなかったのです。

ユダヤ人たちがパウロを捉えてガリオンのところへ引っ張っていき「(ユダヤの)律法に反するような仕方」で信仰を教えているから裁いてほしいと申し立てました。ユダヤ教の一派であったイエス派が民衆の支持を得て勢力を増していくように思えて焦り嫉妬し、憎しみを覚えていたのです。ところが切れ者のガリオンはユダヤ人たちの目論見を察知したか、あるいはローマ法に基づく執政官としての立場からか、この訴えをにべもなく退けました。宗教のことは宗教家の間で決着をつけよというのです。実に理に適っています。

パウロには以前同じような理由で投獄された経験がありました。その時には「ローマの市民権」によって高官たちに謝罪させました。
水戸黄門の印籠みたいです。今度も…とパウロは思っていたでしょう。しかし彼が何も言わなくてもガリオンによってユダヤ人の訴えが却下されたばかりか、結果的にキリスト教が大手を振って福音宣教できる環境が整えられたのでした。「あなたに危害を加える者はない。この町には私の民が大勢いる。」との約束は本当でした。