総督フェリクスは、ユダヤ人の気に入られようとしてパウロを2年間監禁しました。実際は軟禁よりもまだ緩い拘束ではあったようですが、裁判も行わずに容疑者を2年間も放置するなんて!ローマを見たい、世界最大の街ローマでイエスさまを証ししたい。そんな熱い思いを持て余してパウロはイライラの日々を過ごしていたのでしょうか。フィリピの信徒に宛てた手紙に次のようなパウロの言葉があります。わたしは、自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えたのです。…いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。パウロの辞書には「退屈」とか「暇」という文字はなかったようです。
ところで、フェリクスは、この道についてかなり詳しく知っていた、妻と共に信仰についてパウロから話を聞いた、とあります。パウロが正義や節制や裁きについて話すと「恐ろしくなって」話を打ち切った、とも書かれています。自分の来し方を振り返って罪に気づき裁きに怯えるという感性はとても聖書的で救いに近い気さえします。しかしフェリクスはパウロが持っていた天上の富でなく地上の富を選んでしまいました。残念!一時でも彼のように救いの入り口付近にいる人々が天上の富に気づくためにも、私たちキリスト者は小さな自分の証しを神さまに差し出すべきです。取るに足りないものを豊かに用いて下さるのは神さまです。あなたのパンを水の上に投げよ、多くの日の後、あなたはそれを得るからである。(伝道の書11:1)私は私を投げれよいのです。