執事:鮫島能章

 イエスがヨルダン川で洗礼者ヨハネから洗礼を受けると、聖霊がイエスに下ってきました。そしてその聖霊がイエスを荒れ野へと導いたのです。荒れ野が、かつて罪を担わされた雄山羊の追いやられる場であったからです。荒れ野へは聖霊が導いたのですが、ここで悪魔が登場してきます。イエスは聖霊と悪魔の両方から導かれたことになるのです。

 イエスは3つの試練を乗り越え、悪魔を立ち去らされることに成功しました。イエスは天使たちの助けや、父なる神にお願いすることなし、この危機を乗り越えることができたのです。試練に対してイエスが行ったことは、神の言葉の適切な引用でした。イエスは人として持つ力以上のものを決して使うことはなかったのです。イエスは私たち人間も悪魔の試みや誘惑から逃れることができるということを自ら証明してくださるのです。そしてイエスはこのような試練を受けたものとして、現在試練を受けている私たち人間を救うことが可能なのです。

 私たちは生きていくうえで、様々な試練を受けることになります。これまでも多くの試練を受けていたことと思います。イエスも悪魔から試練や誘惑を受けました。イエスの受けた試練が神の栄光に至る試練であることを思えば、私たち人間が受ける試練も、天に宝を積むためのものであり、悲しむのではなく、むしろ喜びだと思いたいのです。また甘い誘惑はそれが本当に神様の意図しておられることなのかを、じっくり考え、祈りをもって選択していきたいものです。