いよいよ深みにはまり込んでしまった感のローマ書ですが、部分的に読んでいて理解出来なくても読み進むうちに、または読了して全体がざっくりとでも把握出来た時にテーマが見えてくるかも知れません。忍耐をもってご一緒に学び続けましょう。
人類の始祖アダムが来たるべき再臨のキリストの予型であるとパウロは言いました。今朝のテキストにおいてパウロは、そのアダムとキリストの違いを明確にしようとします。アダムは人間でありイエスさまは神さま。これ以上の違いが何かあるだろうかと私などは思うのですが、パウロは「アダムは自らが罪を犯したことで全ての人に罪と死を招いた人」、「キリストは恵みと義の賜物を罪人に惜しみなく与えて死の支配から解放し、ご自身を通していのちに生きる者としてくださる方」と言います。もちろんアダムは彼にとっては予型程度。パウロが常に仰ぎつつ追い求め続けるのはイエスさまお1人です。
それにしても天地創造から再臨まで、聖書の中を駆け巡ってはスケールの大きな神学を語るパウロは凄い!としか言い様がありません。彼はまた何事につけ律法に準拠することを忘れません。おそらく神の民イスラエルにとっては(ローマ人にとっても)律法を基準に組み立てられた手紙文が最も理解しやすく受け入れ易かったのでしょう。しかし彼の手紙文は私たち日本人にはなかなか馴染めません。ユダヤ人って何て理屈っぽい人たちなんだろう!あまりのくどさに彼らを遠くに感じてしまうことも…。ついでに言うならパウロの話はよく脱線します。熱弁を振るいながらも語りたいことが次から次へと湧いてくるのでしょうね。