富は、天に積みなさい。天に富を積むとは、具体的にはどういうことなのでしょうか。
マタイは22節23節でこれを婉曲に表現しました。体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、濁っていれば、全身が暗い。一見、富を天に積むことと無関係なようなイエスさまの言葉です。
通常光は「目」を経由して体に入って来ます。目が澄んでいるかそれとも濁っているか。目が健全であるか病んでいるか。ここでの目とは肉の目というよりも霊の目と読んでよいと思います。あなたの霊の目が健全であるかそうでないかによって、その人の全身が明るいか暗いかが決まる、とイエスさまは仰る。それだけでなく、あなたの中にある光が消えれば、その暗さはどれほどであろう。とも言われるのです。
健全な霊の目が外の光を正しくあなたの中に届けたとしても、それが消えてしまったなら、もしくはあなたが故意に消したとしたらその暗闇の深さは如何ばかりか、と。ルカもマタイとほぼ同じことを記しているのですが、その直前にイエスさまがヨナ書を引いて仰った言葉を記しています。ヨナがニネベの人々に対してしるしとなったように人の子も今の時代の者たちに対してしるしとなる。また続けて、ソロモンの知恵を聞くためにはるばるやって来た南の国の女王に告げるように、ここにソロモンにまさるものがあるとも言っておられるのです。
人の子。ソロモンにまさる者。これらの言葉がイエスさまを指し示すことは明らかです。この流れからイエスさまこそが外からやって来て私の内に住まわれる真の光であることが分かります。マタイは、この方を喜んでお迎えすることが天に富を積むことだと言うのです。