あなたがたにぜひ会いたいのは、“霊”の賜物をいくらかでも分け与えて、力になりたいからだ。互いに持っている信仰によって、励まし合いたいからだ。更にわたしには、ギリシア人にも未開の人にも、知恵のある人にもない人にも、果たすべき責任がある。(ローマ書1章より要点の抜き書き)。
このような文書を読みますとパウロが、まずはローマ教会の信徒たちの「福音理解を知りたい」そう考えていることが見えてきます。ヘレニズム文化の中心ローマに於いて、イエス・キリストの福音が正しく伝えられ、教えられ、そして拡げられようとしているか。これはパウロにとって最重要課題であっただろうと思われます。
絵を描くのに、真っ白な紙に描いていくのと、既に何がしか誰かの手が入っている紙に上から絵を描いていくのと、後者の方が断然難しいであろうことは画家でなくても容易に想像できることです。ギリシア哲学、ギリシア神話といったハイグレイドな思想的バックグラウンドを持つローマ人に、彼らにとっては異教のキリスト教がどのように解釈され、信じられているのか。ローマ教会の既知の指導者たちが信頼できる人たちであることは重々分かりつつも、顔と顔を合せて信仰に於ける一致を確認したい、そんなパウロの気持ちは、分かる気がします。
更に彼のことです。世界の中心地に立つローマ教会の信仰の確立が今後の世界宣教の最善策である、そう考えていたとしても不自然ではありません。元よりパウロという人は、神さまの御用に対して全く骨惜しみをしない人でしたがローマ教会への思いは更に特別で格別であったと思われます。