執事 岸 肇

 マリアは気づいたのです。葡萄酒がなくなってしまうと。十分準備したはずだったのに。

 私たちの人生にも『こんなはずではなかった』という場面は訪れます。心を砕いて準備をしても、想定していないことが起きるものです。どうしようもないと途方に暮れる時、イエス様に率直に思いを訴え祈る、これがキリスト者の生き方の基本です。

 但し、イエス様の答えは『わたしの時はまだきていません』でした。逆に言えば、『神様の栄光をイエス様が表す時は確実にくる』。このイエス様の言葉をマリアは真っすぐ受け止めました。『人はその時を信じて待てば良い』。頑張ってきた自分が中心であった世界が、イエス様中心に変わりました。いい意味で自分を諦め主イエスにすべて委ねる時、そこにイエス様が働かれる場が生まれ、主イエスの物語がそこから始まります。

 召し使いたちはどう思ったか、水がめに水を入れよとのイエス様の言葉の意図は彼らにはわからなかったはずです。しかし、彼らは黙々とその言葉に従い行動した。表の人たちがそうとは知らない間に婚礼の危機を救ったのはイエス様でした。但し、この救いの御業に、御言を信じその時を待ったマリアが、そして御言どおりに行動した召し使いたちが関わらせていただいています。

 神様の時がいつなのかわからなくてもその時を信じ、イエス様の言葉を信じ、応答して行動する役割を主イエスは彼らに求められた。イエス様は信じる人を用いつつ、その御業を行われる。感謝なことだと思います。