説教題を「悪人よ、死ぬな!」としました。11節の、わたしは悪人が死ぬのを
喜ばない、という神さまの言葉の言い換えです。10節半ば。我々の背きと過ちは
我々の上にあり、我々はやせ衰える。どうして生きることができようか…。エルサ
レム神殿がバビロン軍によって破壊され都が陥落したとの情報は、捕囚地に住んで
いた人々の心の中を露わにしました。エルサレムは永遠に不滅という
神話に固執しエゼキエルの預言と忠告を無視し嘲笑した人たちはたちまち生きる気
力を失い屍然となっていきました。彼らは所詮偶像礼拝者であったのです。
(しかし一握りながら捕囚地にもエゼキエルの言葉を信じ、彼の象徴行為から神さ
まのみ心を読み取って小さな希望の灯を消さなかった人たちも居たのです。)また
知らず知らず神さまのご計画に参与させられた異民族に対しても、厳しい断罪の言
葉や預言が語られますが、神さまはその最後を必ず、その時あなたはわたしが神で
あることを知るようになるという言葉で締めくくられます。神さまにとっての線引
きの基準は、今この時に悔い改めて神さまを我が神と信じ、悪しき思いや行いから
遠ざかるか否かその一点。民族、性別、年齢…何の条件も「なし」なのです。