神さまはヨナの中にある正しくないものに気づかせようとなさいます。自らの間違いに
気づく時、初めてヨナは自分の頑なな殻を脱ぎ捨てることが出来るのでしょう。彼は自分
の神さま理解、神さまへの期待、神さまへの信仰が正しいと思っていました。神さまの御
心を自分の心とし、神さまの眼差しを自分の眼差しとする謙虚さが、彼には欠けていたの
でした。人の思いを遙かに超えた神さまの自由と豊かな愛。これに対する信仰がヨナには
欠けていました。神さまのなさることが間違っているのではなく、自分の側に何か間違い
があるのではないか、と自らを吟味する謙虚さが、ヨナには欠けていたのです。お前は怒
るが、それは正しいことか。彼は自分の正しさを証ししようと、ヨナは都を出て東の方に
座り込んだ。そして、都に何が起こるかを見届けようとした。ヨナは神さまがまた考えを
変えられるかも知れない、あるいはエネベの人々が悔い改めを撤回するかも知れない、そ
う考えたのでしょう。ここまで自分の正義を言い募るヨナの姿に痛々しさを覚えます。し
かしそれは逆に言えば、ヨナが如何にイスラエルの選民思想を自らの人生、 預言者人生の
土台に据えていたか、依り頼んでいたか。その証拠ということになります。彼にとっては
それが否定されるくらいなら死んだ方がまし、と案外本気で思っていたかも知れません。
しかし神さまは、彼を諦めてはおられないのです。