あなたがたにとって善いことがそしりの種にならないようにしなさい。神の国は飲み食いではなく聖霊によって与えられる義と平和と喜びなのです。14:16-17

 ここでの「善いこと」とはキリスト者に与えられている自由のことです。私たちには何を食べても何を飲んでもいい自由、迷信や言い伝えに縛られない自由が与えられている。様々なこの世的な束縛からすでに解放されている。これは本当に幸いなことです。

 パウロは言うのです。その自由を、幸いを、最大限味わっていいのだと。但し弱い人たちへの配慮を失ってしまったなら、そしりは免れない、世間の人たちから非難されるのですよ、と彼は警鐘を鳴らすのです。

 自由を謳歌するには、必ず「熟慮と弁え」「隣人性と共感」が不可欠だと思います。生涯を賭けてキリスト者の自由を追い求め、それを喜び味わいたいと思います。神の国は、飲み食いではない。ですから地上に生きてその生活を大切にしつつも、キリスト者は天の国で生きている自分のイメージを持ち続けているべきだ、とパウロは言うのでしょう。天上で与えられる義と平和と喜びを期待しつつこの世で生きる。清らかで美しい生き方を求め続けて生きる。

むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。12:2b

 神さまに喜ばれる私とは、義と平和と喜びをもってイエスさまに従い仕え続けていく私。神さまに愛され、人に受け入れられ、誹りの種にならないような歩みを続ける私でしょうか。共に歩んでいけたらいいですね。