今日から「モーセの物語」が始まります。モーセは、国王による「ヘブライ人男子の乳幼児皆殺し」命令発令のエジプトの国に生まれました。聖書は「その子はかわいかった」とわざわざ記しています。両親はその子の特別なかわいらしさに神さまからの何らかの徴を見たのかもしれません。国王の絶対命令に背いて生後3ヶ月まで、自宅でひた隠しに隠しながらその子を育てたのでした。しかし新生児の成長は早いもの。いよいよ隠しおおせなくなった父母はその子を籠に入れてナイル川の葦の茂みに置いたのでした。見つけて育ててくれる人の出現をひたすら祈っていたでしょう。そこへエジプトの王女が水浴びのために河原へと降りて来て籠を見つけました。中にはヘブライ人の男の赤ん坊が入れられていて泣いていました。さらに一人の少女が現れ、王女にヘブライ人の乳母を連れて来ましょうかと提案します。結局赤ん坊はその姉の機転によって実の母親に育てられることとなったのでした。
さてこの物語を読んで多くの人たちは思うのではないでしょうか。この短い物語の展開にはかなりの不自然さと無理がある。次々に「良い人たち」が現れてはこの子の命が確実に守られる方へと物事が動いていく。こんなことは現実にはあり得ないのではないか。確かに。でも私たちキリスト者は、このような聖書の物語をむしろわくわくしながら読み進みます。何故なら、物語の不自然さと無理な展開こそ神さまがこの出来事に関わっておられることの証しだからです。神さまはこの様な方法によってもご自身をこの世に啓示しようとなさるのです。