平和月間のメッセージをエフェソ書から頂きます。一般的に世間でいう平和とは戦争のない状態、争いや対立、軋轢がない状況のことをいうのでしょう。しかし世界の現実はその消極的平和さえも危うく、人々はだから一層平和平和と叫ぶのだと思われます。しかし世界を牽引する為政者たちの「平和を希求する」という言葉には虚偽が透けて見えます。自国の利益どころか自分の利益に汲々としている姿はみっともない限りです。私たちはそんな意味なく空しいものにでなく本気で期待して大丈夫なお方に希望をつなぎたいと思います。
神でありながら人となられてこの世に降り、あらゆる苦難を舐め尽くされ、十字架という平和の対極、敵意の究極に身を委ねられた方が作り出してくださった平和(シャローム、エイレーネー)こそ、世界がこぞって求めるべき平和です。平和のイメージは「穏やか」という言葉に代表されますが、イエスさまの平和にはそれだけでなく「強さ」があります。パウロは今朝のテキストで自らを「主に結ばれた囚人」といいエフェソの信徒たち、すなわち私たちに「平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つ」ようにと勧めています。私たちはすでに平和という力強いきずなでイエスさまに結ばれている。その具体的な姿が教会です。信仰者とはいえひとりひとりは弱くて平和を実現しなさいとのご命令になかなか従い得ない者かも知れない。でも三つ撚りの糸は切れにくい(箴言4:12)。だから教会が必要なのです。私たちの夢は教会で育つのです。(新生賛美歌370番)