平和月間最後の主日となりました。今朝はマルコの福音書からイエスさまのお言葉を聞きます。イエスさまは仰いました。「塩は良いものである。」「自分自身の内に塩を持ちなさい。」「互いに平和に過ごしなさい。」マタイの山上の説教ではズバリ「あなたがたは地の塩である。」と書かれています。二つの福音書から聞こえてくることは、キリスト者と塩との間には関連がある、それは良いものらしい、ということです。そこでまず塩の良い点(特性)を上げてみます。まず、辛い! 確かに良くも悪くも辛いです。他に、野生の動物が岩塩を舐めている映像を見た。鮮魚を塩漬けにすると長く保存できる。大相撲では土俵に塩を撒く。小豆の餡を作る時には砂糖と同時に塩を入れる・・・。色々な証言が出て来ます。つまり塩の特性とは、命を保つ上で欠かせないものであり、防腐効果があり、調味料としても有能、加えて清めの象徴でもある、ということになります。この塩の特性を、イエスさまは山上の説教ではキリスト者に重ねられ、今朝のテキストではキリスト者が平和を作り出すために内に持つ必要がある、と言われるのです。とても示唆に富んだ教えです。
さて、神戸伊川教会では毎年8月の礼拝で連盟の「平和に関する信仰的宣言」を交読しています。この宣言はモーセの十戒を骨格に、平和を作り出すキリスト者としての告白、悔い改め、決意表明、祈り…をもって構成されています。十戒に沿っての告白であるが故にいろいろな意味で難しい(理解するのも宣言するのも実行するのも)のですが、この宣言に親しむほどに、十戒を生きようと心がけることこそがキリストの平和を実現していくことになるのだなぁと感じます。私たちには十戒の成就は不可能ですが目指して生きることは出来る。そしてそれは素敵な生き方でもあるのです。