挫折の経験は時に人の生死にまでも影響を及ぼします。イスラエル民族は、神の
民であることに固執し過ぎたために、国家が滅亡し国民の多くが異国の捕虜となっ
て初めて「自分たちは間違っていた」と気づくような有様でした。そして枯れた骨
同然、生きながらも死んでいるような状況に陥っていたのです。神さまはエゼキエ
ルに民に語るべきことを告げられました。主なる神はこう言われる。わたしはお前
たちの墓を開く。わが民よ、わたしはお前たちを墓から引き上げイスラエルの地へ
連れて行く。わたしが墓を開いてお前たちを墓から引き上げるとき、わが民よ、お
前たちはわたしが主であることを知るようになる。事ごとに裏切られてなお、神さ
まはイスラエルに向かって、わが民よ、わが民よ、と呼びかけられます。そして
お前たちの墓を開く、お前たちを墓から引き上げる、と言われるのです。墓場とは
命のない世界、死が支配する世界。イスラエルにとっての墓場とは何でしょうか。
捕囚地での生活の苦しさ?異民族に支配される屈辱の日々?それとも真の神さまを
拒絶して虚しい人生を送ること?イスラエルにとって捕囚地バビロンは「あらゆる
意味」で墓場であったのです。神さまのみ心はそんなイスラエルを、墓場での人生
から引き上げることでした。そして実は、そればかりではなかったのです。