「悲しみ」 賛美歌“静けき河の岸辺を”に寄せて

静けき河の岸辺を過ぎ⾏くときにも
憂き悩みの荒海を渡り⾏く折にも⼼ 安し 神によりて安し

 新⽣賛美歌515番(上記)の右肩に「G.Spafford 1873」と書かれています。この讃美歌の作詞者名です。この⼈は⼀度に4⼈の娘たちを海難事故によって失いました。

―知らせを受けた彼が驚きと失望のうちにまんじりともせず過ごした明け⽅、かすかに⼼の奥に差し込む光のように閃いてきたのは、わが悲しみをことごとく知り給う天の⽗が居ます、という動かしがたい事実であった。彼はひたすら祈り続けた。⻑い祈りののちに、今まで乱れていた⼼に、かすかに⼼の平安が回復して来た。―

 喪失の悲しみ、痛みは繰り返し襲って来ますが、正しく悲しむこと、我慢せず神さまに悲しみや怒りをぶつけることで、この⽅だけが共に居てくださる唯⼀の⽅であり真の慰めを与えて下さる⽅であることが⼼に落ちて錨となり、動揺が鎮まります。そうなるまで⼼の奥に差し込むかすかな光のような主の臨在に信頼してひたすら祈るのです。早く、健全に⽴ち直るための⼤仕事です。