一日一章は明日(9/22)から「エゼキエル書」に入ります。旧約の三大預言書「イザヤ書」「エレミヤ書」に続くこのエゼキエル書は、聖都エルサレムが陥落し3度に亘って多くの民がバビロンに捕囚として牽かれていった頃に書かれました。エゼキエル自身が第1次捕囚民だったのです。カルデアの地に連行されて5年目、エゼキエルは幻の中で主に出会い召しを受けます。彼は「イスラエルは恥知らずで強情(2:4ほか)」な民、「反逆の家(2:3ほか)」の見張り番として立てられたのです。

エゼキエル書の特徴は「黙示的表現」と「象徴行為」と言えます。その記述は余りに奇異で思い描くことも理解することも困難、というか出来ません。表現に促われず、何が語られているのか、神さまは私に何を語っておられるのかを受け取るよう努めましょう。「私」を主語にして読むと御心を聞き違える危険性の高い書物です。聖書は全部そうですケドね。

33章以降の「エルサレムの回復」の希望や「新しいエルサレム」の幻は、読者を人間的な閉塞感から解き放ち神の時、神の視座へと導きます。丁度エゼキエルが持ち運ばれたように。