教会の2025年度が始まりました。初めにかねてよりの計画に従って今年度からの礼拝説教を「聖書教育」のテキストに準拠することを確認しておきます。教会員の皆さんにはどうかこの変更が主のみ心であり協力伝道に一層資するものとなるようお祈りください。
さて私たちは来る4月20日、今年のイースターを迎えます。イエス・キリストのご復活は私たちにとって大きな喜びであり感謝ですが、お祝いをするその前にイエスさまのご受難をわが身のこととして受け止め、心に感じていく必要があります。3月5日に始まった受難節も次週13日からは受難週に入ります。イエスさまのお心に出来る限り思い巡らせ、自らの信仰を見つめ直し、罪を悔い改める。そんな特別な時間を一日の内に少しでも取り分けて聖書を読み祈りたいと願います。
今朝は年度当初にあたり、イエス・キリストについての代表的な聖書の言葉と、聖書の使信(中心的メッセージ)といわれるパウロの言葉(文半ばの読点まで)を、以下に記します。み言葉を心に蓄えましょう。
*フィリピの信徒への手紙2章6-8節
キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、遜って死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。
*コリントの信徒への手紙一 15章3-4節
最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、