今朝のテキストは、判官贔屓の日本人のハートを掴むのか、「有名な物語」とある本に書かれていました。読み方によっては因果応報を正当化しているようにも読めるので注意が必要です。そう読んではいけませんよ、当然ながら。
この物語はまた金持ちとラザロ、どちらに自分を重ねるかによって味わいが異なってきます。ラザロに自分を重ねると彼には個性がないことにすぐ気づきますがその点に自分を重ねて、私も個性が薄い・・・なんてしょげる必要はありません。むしろ、彼の陥った悲惨な状況には絶対に陥らないなんて保証は誰にもない、と、人生の危機管理に目覚めるきっかけになると良いですね。
金持ちに自分を重ねるのは気が進まないかも知れませんが、自分捜しをしている人にはたくさんのヒントを与えてくれそうです。この人は、血の通う人間なら少しくらいは同情したらどう!と怒りが湧くほどにラザロを無視し無関心だった…ように見えますが少し読み進むと結構彼のことを気にしていたのでは、という場面が出てきます。
うちの門前に寝転んでヤな奴だ、とは思っていたでしょうが名前は知っていた。また顔も実は認識していたのです。ラザロの面影は、この世での瀕死状態の時と死んでアブラハムの許で過ごすようになって以降とは大きく異なっているはず。それにも拘わらずハデスから遠~く眺めた時ラザロを認識できたのです。
彼はラザロに関心を寄せていた、と仮定して読み直すと全く別の物語になってしまうかも、ですが推理小説みたいで面白そうです、よ!