イエスさまの噂はたちまちパレスチナを駆け巡り、遠くから近くから人々がぞくぞくと集まってきて、今朝のテキストが始まります。5章1節2節。

イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。そこで、イエスは口を開き、教えられた。

 イエスさまはまず、山に登られました。それで、ここで語られた教えを「山上の説教」と言います。ルカの福音書にも並行記者がありますが、彼は次のように書いています。

イエスは彼らと一緒に、山から下りて、平らな所にお立ちになった。

 それでルカの記事を、「平野の説教」と呼びます。マタイが山上を説教場所として設定したのは、モーセに導かれて荒れ野を旅したイスラエルが十戒を授与されたシナイ山に因んでのことだろうと言われます。イエスさまはまた、頻繁にオリーブ山に赴かれました。イエスさまにとっての山とは、繁忙の日常から退いて、祈りに専念し、父なる神さまから力を頂く場所、そして安息の場であったと思われます。現代のキリスト者にとっての密室が、イエスさまにとっては「山」であったのでした。

 さて、マタイ5章3節から始まる山上の説教ですが、新共同訳聖書では、幸い、という小見出しが掲げられていますように、一定のリズムに乗って祝福を数えていくところから、8福の教え、本によっては9福の教え、などと呼ばれます。とてもシンプルな文書ですので、読者一人ひとりがそれぞれの感性で受け止めて、味わうのにふさわしいテキストです。皆さんそれぞれに新しい発見がありますようにと願いつつ説教を始めて参ります。