群衆を救うためにイエスさまは来られました。12人の弟子たちの役割は、補教師です。では私たちはどこに立つのでしょうか。

 私たちはいつも、自分は13人目の弟子なのだ、12人と一緒に歩いているのだ、という自覚と喜びとを感じ続けていたいと思うのです。イエスさまは12弟子を愛されて彼らへの教えの最初に、八福を語って下さいました。あなたたちは幸いである、とまず断言して下さったのです。

 山上の説教は、7章の終わりまで続き、私たちには守れそうにないような教えもあるのですが、イエスさまは弟子たちが、そして私たちが、それらを守るか守らないかに注視してはおられません。イエスさまがおっしゃりたいことは、5章11節、12節だろうと私は思います。先週の箇所です。

 私のためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。一寸先も見通せない私たち人間にとって、こんなに喜ばしい、また希望に満ちた励ましはないのではないでしょうか。

 今、本当に世界は暗い。どうしても私たちの心は暗闇に持って行かれてしまいます。しかし、時を支配される方が、あなたがたは幸いであると断言し大いに喜びなさいと命じていて下さる!

 13人目の弟子の視点で、13番目の弟子の耳で、山上の説教を味わい、頂く喜びと希望を、この暗い世界に発信していきましょう。そしてイエスさまの恵みに応答していきましょう。