ローマ書はパウロ自身が筆を握ってしたためた手紙ではありません。書記がいたのです。
パウロの手紙は、真筆とその名による手紙に分けられますが、真筆とは言っても、実際に筆記したのは書記であったようです。従って、パウロの直筆と言うものが少ないために、パウロから送られて来たと言われれば誰もがそう信じるしかなかった、と言うことになります。もっとも手紙の真偽と言うのは筆致よりも内容ですから、そう大きな問題になるほどの偽の書簡などは出なかったのだろうと思われます。パウロの弟子たちがしたためたものであってもパウロ神学が通底していれば、師匠が「私の名前を使って良い」とお墨付きを与えたのだろうと想像します。
ところで、パウロと言う人はギリシア語もヘブライ語も出来た人であったようですが、ギリシア語は実は余り上手ではなかった、と言われます。ところがローマ書簡に限っては、非常に立派なギリシア語で書かれていると言われます。つまりは代書した書記がギリシア語に長けていた訳です。この手紙を筆記したわたしテルティオ(16:22)。この人はパウロ専属の書記ではなく、世間一般で通用する代書人や秘書になるための特別な訓練を受けた人物ではなかったかと言われているようです。代書をしていた際にパウロから、ほらあなたも自分で挨拶を書きなさい、と促されたのでしょう。
そんな風景を想像しながら短い一文を読みますと、わたしテルティオが、キリストに結ばれている者として、という言葉が浮き上がって迫ってくるような感動を覚えます。テルティオもクリスチャンだった。だからこそパウロはローマ書を書き上げることが出来たのだとさえ思うのです。