「もう3年もの間、このいちじくの木に実を探しに来ているのに、見つけたためしがない。」

 ぶどう園の主人がいちじくの木に腹を立てています。これについては説教でお話するとして今朝の「まえせつ」ではこの「3」という数字に注目してみます。

 聖書は結構数字にこだわりを持っています。神の民イスラエルに神さまがイエスさまを遣わして「実」を探された期間がこの例え話の3年を根拠にしていると言われます。つまりはイエスさまが公生涯に入られて十字架まで3年、という訳です。なるほど!説得力があります。初めて知りました!

 参考書には「この3年節にはもう一つ根拠がある」とも書かれています。ヨハネの福音書を読むと3回もしくは4回、異なる「過ぎ越し祭」を迎えておられるようだ、と。それでいちじくの喩話の「3年」がより生きてくるのだとも。

 因みにヨハネの福音書が記す過ぎ越し関連の記事は、「宮清め」(2章)、「五千人への供食」(6章)、「仮庵の祭」(7章)、「神殿奉献祭」(10章)、その後の「最後の晩餐」(11章)。他にも「ユダヤ人の祭り」と呼ばれるものがもう1年別の過ぎ越し祭かとも言われているようです。

 エルサレムで3回過ぎ越し祭を経験されたのなら、その公生涯の年数が「3年」というのは大いに頷けます。(4回説もありますが…)。

 以上の文は【著:榊原康夫「ルカ福音書講解」】からの引用を編集したものです。今年度のルカ福音書からの説教に限らず著作集からいつもたくさんのヒントを頂きます。読んでいて、イエスさまの愛の、一層の広さ、長さ、高さ、深さに触れる気がします。良書との出会いというのは本当に生涯の宝だと思います。