パウロとシラスは、ヨーロッパでの最初の宣教地フィリピを後にしてマケドニア州の州都テサロニケへと歩みを進めました。新しい町に入って二人がまず最初に必ず行うことは、ユダヤ教の会堂シナゴーグを見つけることでした。
テサロニケの町の会堂ではパウロは3回、キリスト教の説教を語りました。3週間で用が済んだというのではありません。
第一の関門は、キリスト者を嫌うユダヤ教徒たちが彼らを会堂に入れてくれるかどうかです。入ることが出来れば幸い!パウロは聖書を引用して多いに語りました。週日と、会堂に入れなかった安息日には二人は天幕作りの仕事に従事しました。この頃パウロとシラスは自給伝道を行っていたのです。すごいバイタリティーです。この町での伝道は豊かな果実を得ることができました。ユダヤ人の幾人かと大くのギリシア人そしてかなりの数の主だった婦人たちが彼らのあとに従ったのです。
大勢の人々を引き抜かれたユダヤ教徒たちはそのことを嫉み、テサロニケ市民や、ならず者を抱き込んで暴動を起こし、あらぬ言いがかりをつけてパウロとシラスを民衆の前に引き出そうとしましたが、肝心の彼らが見つかりません。そこで二人に宿を貸していた同胞のヤソンと信徒たちを町の当局者のところへ引き立てていき、パウロたちが「皇帝の勅令に背いている」「彼らは『イエスという別の王がいる』と言っている」と訴えます。
しかしパウロとシラスはローマ政府に逆らったことはなく、イエスさまはこの世の王ではありません。イエスさまは根源的な権威者なのです。テサロニケでも彼らは迫害され町を追われることになります。
しかしテサロニケの教会は堅固な群れとなり、マレドニア州やアカイヤ州の信徒たちの模範となったのでした。