フィリピの信徒への手紙2章6節から8節。

キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまでしかも十字架の死に至るまで従順でした。

 ここに人と共に居てくださる神が描かれています。私たちが信じる神さまは、私たちのような、弱く欠けの多い器の中に住んでくださって、人生の道行きを共にしてくださる方です。ある時には私を背負い、ある時には私を掌に包み込んで持ち運んでくださる方です。

 今年度はクリスマス物語をマタイの福音書から聞いていますが、この福音書に通底するテーマが、実にこの「インマヌエル」であることを、分けても現代という時代の風の中で聞くことの大切さを痛感しています。天地の創造主なる神さまは、旧約聖書の時代においては神の民イスラエルと共に居られました。アブラハム、イサク、ヤコブと共に居られた。ヨセフを助け、モーセを導き、ダビデを愛されました。神さまはやがて全ての人をご自分の民となして完全な平和の世界、神の国を実現するために、ご自身の一人子をこの世に送られたのでした。

 人々はそれを拒み続けてきましたし、今もなお、受け入れている人たちの方が少ないのが現実です。しかし聖書は常に語っているのです。残りの民がいると。神さまは必ず信じる信仰を持ち続け語り継ぐ器を歴史の中に残し、世界の隅々にまで点在させて、小さな灯りを灯し続けさせてくださるのです。