第一主日の喜び

 6月に入りました。情緒豊かな梅雨を期待しますが、温暖化の影響が顕著な昨今、先日の雨は5月なのに水害をもたらしました…。

 閑話休題。第一主日の今朝の説教ではわずかながら「主の晩餐」に言及します。初代教会は主日毎に主の晩餐を行い、その食卓に必ずイエスさまの席を設けたと言われます。イエスさまのことを語り合いながら食事をする中で参加者それぞれがイエスさまの臨在を感じ取ったのでしょうね。何と素敵な!と思いつつ「エマオ途上にて」を思い出しました。

道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか。ルカ24:32

 復活のイエスさまと食卓を共にした2人も想い起こしの中でイエスさまとの再会を確信したのでしょう。真実は、肉の目でなく想起によって心の目に見えるもの、という何よりの証しです。つまりは、私たちの主の晩餐の食卓にもイエスさまがいつも居てくださる、ということです。