民数記」は、その名が示す通り12部族の二度に亘る人口調査を軸に、物語、律法、旅行記、個人名と礼拝の指示、軍事戦略報告、法的論争の記録…、実にバラエティに富んだ内容を含む書物です。内容の多様性のゆえに、一般に言われて来た評価は、有益なものは何一つない重くて厄介な糧といった散々なものでした。

 しかし2世紀の神学者オリゲネスは、この書物について「人生における荒れ野の旅路にあって神の導きに飢えている人すべてのための霊的滋養に満ちた書物」と評価しています。21世紀を生きる私たちキリスト者の大部分にとっても、オリゲネスのこの主張は真実である、と言い得るのではないでしょうか。

 示唆に富んだ書物でありながら敬遠される理由は、実際に聖書を開いてみると分かりますように12部族ごとに登録者数、兵役に就くことの出来る20歳以上の者、その人数を几帳面な文書で綴っているのです。読む前からこの数字を読む意味を問いたくなるのですが、逆に考えるなら総計603,550人は、少なからぬ氏族の長たちが総動員で1人1人を顔と顔を合せて確かめつつ数えた、ということになります。神がそのように数えるようにと命じられたのです。これは神にとって一人一人が大切であることを神ご自身が主張しておられると言うことに他なりません。

 翻って現代、世界のあちこちで起っている戦争や内戦において国家の指導者たちは人の命よりも戦争に勝つことを優先しているのです。この事実一つ取っても民数記から学ぶべき尊いことがあるように思うのです。