今朝は、イエスさまが初めて行って神さまの栄光を現わされた奇跡、公生涯に立たれるきっかけともなった奇跡とその意味について、そして母マリアの信仰について、聞いていきます。水をぶどう酒に変えるというこの物語は読むほどに味わいが深くなっていきます。きっと読者の中でも奇跡が起こっているのでしょう。喜びに喜びを積み上げるような奇跡に最も感動し最もその恵みに与ったのが誰だったのか、読み解くうちにキリスト者の歩むべき方向までもが示されるような気もします。
さてこの5月6月は、イエスさまを廻る人々の信仰に注目しています。イエスさまの母マリアはその賛歌(マグニフィカート)で知られ、別けてもクリスマス物語には欠かせない存在。彼女がどんな性格の女性だったのか、イエスさまにとってどんな母親だったのか、あれこれ想像する材料に事欠きません。別けても神さまが神の子の母として好ましいと思われた特質がどのようなものかに思いを馳せるのには意味があるように思います。天使から受胎告知を受けた時、マリアは12、13歳であったと言われます。心身共に成長の途上にありました。もしも彼女が大人であったなら…。天使の告知を受け入れる前にあれこれ計算し世間の目を勘案し…、考えるべきことがヤマほどあって決断が鈍ったでしょう。彼女の未熟さが彼女を大胆な応答に導いたことは否めません。加えて神さまは彼女のひたむきさを嘉されたと私は思います。神さまに全き信頼をおいて揺るがない。信仰はこの1点で支えられ深められていきます。