わたしたちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っています。12:6半ば

 「賜物」と言う言葉が出て来ました。文中の「恵み」という単語をギリシア語でカリス。また「賜物」という単語をギリシア語で「カリスマ」と言います。従ってこの文の意味は、カリスによってカリスマを頂いている私たち、となります。

 カリスマと言うと、世間では目を見張るような特別な技術とか人を魅了する素質、そのような意味に用いられています。しかし本来はそのように人に由来する能力や才能、技能、力量を言うのではありません。あくまでもキリスト教信仰の言葉なのです。神さまの働きを完遂するために上より与えられる特別な力、恵みの力を表します。

 冒頭の3節に、信仰の度合いに応じて慎み深く評価すべき、というパウロの言葉がありましたが、ここでの信仰の度合い、口語訳では信仰の量り、と表現されている言葉、これがカリスマ、賜物です。

 さてパウロは6節の後半から8節までに7つの信仰の賜物を挙げています。7つとは、6節の預言、7節の奉仕教え、そして8節の勧め、施し、指導、善意、です。これらについてパウロは2つの奨励(勧め)をしています。始めの4つについては、頂いている賜物が何であるかをしっかりと弁えて、その賜物に応じて与えられた働きに専念するように、職務の範囲を超えてしまわないように、と勧めています。そして後の3つについては、働く時の心構えについて語っています。惜しまず、熱心に、快くと、具体的にその心意気を指示しているのです。ここから賜物の内実が見えてきます。