パウロは自分自身の内側を見つめました。その結果、律法と罪に関するある法則を見出した。それが10節、11節です。

命をもたらすはずの掟が、死に導くものであることが分かりました。罪は掟によって機会を得、わたしを欺き、そして、掟によってわたしを殺してしまったのです。

 パウロの言葉を、順を追って解釈していくとまず7節です。律法によらなければ私は罪を知らなかった。律法が「むさぼるな」と言わなかったら私はむさぼりを知らなかった。むさぼったことがなかったのではありません。むさぼりを責める律法がなかったので彼は無邪気に伸び伸びとむさぼっていた。

 罪の意識のないこの状態をパウロは、罪は死んでいると表現しています。そこに掟(律法)が登場したとき罪が生き返った。良心の呵責に打ちひしがれて煩悶する生活が始まってしまったのです。そんな生活は死んでいるも同然です。パウロには命に導くはずの掟(律法)が死に導くものであることが分かったのです。

 けれどもパウロにとって律法とは聖なるものであり、掟も聖であり正しくそして善いものでした。そう学んで来たのです。律法って…?彼は大きな矛盾に突き当たってしまいました。アイデンティティの分裂を経験したのです。

 痛み苦しみを通った結果、導かれたところが13節でした。善いものが、律法が私に死をもたらすのか。そうではないのだ。律法がなければ罪が罪であることを私は知ることが出来なかった。罪こそ邪悪であり私に死をもたらす。このことに行き着いたのです。