今朝の3章は、蛇に唆されて神さまの禁止令を破ってしまったアダムと彼のパートナーがエデンの園から追放されてしまうというお話です。こう言ってしまうと身も蓋もない感じですが、神さまは人を叱ったり嘆いたりましてや呪ったりなどなさいません。

 「人」に自分たちが犯した罪を自覚させ罪がもたらした結果を淡々と語り、罪によって聖性を失った彼らがエデンの園に住み続けることが出来なくなってしまったためにやむなく園から追い出されるのです。またその際には弱い皮膚(と心)を守るための皮の着物を着せておやりになるなど心を傾けられました。神さまの「人」への細やかな心配りが静かに伝わって来ます。

 それにしてもなぜ彼らと関わるのが蛇なのでしょうか。蛇は3章の冒頭から登場します。主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。そういえばイエスさまも弟子たちに向かって蛇のように賢く、鳩のように素直に、と言っておられました。蛇が「賢い」…?私などには形や動きが気味悪くて恐くもありますが感じ方は人によって違うでしょう。

 肝心なことは創世記の筆者は蛇に何を、どんなイメージを重ねたのかということです。人を神さまから引き離すもの。旧約聖書では悪霊、新約聖書ではサタン。そんな存在でしょうか。音もなく地面をくねくねと移動しては鎌首を上げて獲物を狙う。その様子が緻密な計算しているみたいに見えなくもありません。蛇はアダムでなく彼のパートナーに目をつけました。彼女の方が与しやすいと考えた辺りからも彼の賢さが見えるのかも知れません。