酒井紀世子 執事

 山上の説教の「八福の教え」からイエスさまが語られた「幸い」についての福音を聞いていきましょう。この世の価値観からみると逆のような人々のことを「幸いなもの」と呼んで招いてくださるイエスさま。律法を守ることが何よりも一番大事だと厳しく教え育てられた。当時の人々に、本当の幸せは律法を守ることによって得られるのではないことを語られます。当時のユダヤ社会では多くの律法を遵守することがあなたの幸せのためで、そうすることによって神の国に入ることが出来ると信じられていました。しかし、人が神のためにしなければならないことより、神が人にしてくださったことを知ることこそが大切なのです。

 心貧しく、悲しむ人々は絶望の淵から呻きのような祈りしか出てきません。その祈りに答えられるようにそれらを埋めるように、わたしたちは必ず神から慰められるのです。神がいつも傍らにおられ慰めをくださることを知ったものは神の義を求めます。義とは神との本来あるべき関係に生きることです。時代の流れに呑み込まれず神が望んでおられる生き方を求めて歩むことです。取るに足りないわたしを霊で満たし憐みをかけてくださった神が、独り子なるイエスさまをこの世に遣わしてくださり、その尊い血の贖いによって救いへと導きいれられたわたしたちこそ幸いなものなのです。