平和月間第3週の主日を迎えました。今朝は交読文でお読み頂く「平和に関する信仰的宣言」6頁の十戒第10戒から、平和を作り出す者としての私たちの使命について思いを巡らせたいと思います。「隣人の家を欲してはならない。」第10戒は「欲しがる」という心の中の思いに関する禁止令です。しかし何も欲しがってはならない、とは言っていません。第10戒は誰のどのような物をどれだけ欲しがってはならないかを限定します。欲しいと思う気持ちは最も手近かな隣人の家、お隣さんの持ち物を見ることで起こってくると言うのです。分かる気がしますね。隣の芝生は青いと言いますし。「欲しい」という気持ちが高じると、貪るというとても卑しい行動を起こさせます。十戒が戒める4つの行為(殺す、姦淫する盗む、偽証する)も、最初は些細なことだったかも知れません。相手にこちらの興味を惹くものがある。手にいれたい。その感情が抑えられないと貪り尽くさないことには気が済まなくなるのです。他人事ではありません。信仰宣言は「貪りが隣人を傷つけ、世界を破壊し、戦争を引き起こしている」と言っています。貪りとは濃い塩水を呑むようなもの、と言われます。一口飲んだが最後、飲めば飲むほど渇くのです。その極めつけが戦争だと、平和宣言は言っているのです。
平和月間に聞くみ言葉としてフィリピ書から2つ頂きました。「足るを知る」ということ。そして「その模範はイエス・キリストである」ということ。パウロは自分に有利であった一切合切が、イエスさまを知った今は「塵あくた」だと言い切ります。極端!ちょっとついて行けません…が、その自分の弱さ、中途半端さをイエスさまにお預けして貪りとは無縁の道、平和を作り出す者としての道を選んで生きようと思っています。