シメオンは常に神さまと語り、神さまに聴き、み声に従っていた。彼は「祈りの
人」であったのです。聖霊の導きによって祈るほどに祈りが整えられていくことは
私たち信仰者の経験するところです。祈りの内実が整えられ、神さまに向かって高
められていく、そんな経験です。最初は肉の思いのままに、嘆きや呟きや願望や要
求を言い募るような、場合によっては怒りをも含んで実に生々しい感情の吐露であ
ったとしても、聖霊はそんな荒ぶる心に働いてくださるのです。やがて、み心を渇
望する言葉に変わり、遂には、自分の思いを手放して一切を委ねる祈りへと変えら
れていきます。すべてにおいて「あなたのみ心がなりますように」と祈り始める。
肉で始めた祈りが黙想へ、そして霊が語らせる言葉へと、祈りが昇華していくのを
体感するのです。シメオンの賛歌も祈りが変化していきます。自分たちイスラエル
民族の回復と開放を願っていたシメオンは、イエスさまを腕に抱きながら、わたし
はこの目であなたの救いを見た。これは万民のために整えて下さった救いと言いま
した。イスラエルの回復を祈り続けて来たシメオンが、いつの間にか、万民と言う
言葉を使い自分たちの慰めを求める前に異邦人の救いを願うようになるのです。