“尊い”ということば

 最近やたらと「尊い」ということばを「目に」しませんか。検索の度についつい世俗の記事に目が行ってしまう私のワルいくせのせいですが、えっというような文書の中にも「尊い」ということばが出てくるのには内心閉口していました。

 例えば、嬰児の妹を年の離れた姉が面倒を見ている場面を目撃した母親が「尊い光景を目にしました」とコメントしているのです。何も間違っていないし、むしろ日常の光景の中に「尊さ」を見出している母親こそ「尊い」心の持ちではないかと感嘆しつつも…なぜかひっかかってしまう。私が「尊い」という言葉を神さま関連でしか使わないから、なのでしょうね、多分。

 尊い神さま、尊い御業、尊いお働き…。だからそれ以外の場面で使われていると、使わないでよ!とつい心が思ってしまう。私ってなかなかケチんぼです。「尊い」という素晴らしい言葉がポピュラーになるほどに世界は優しくなっていくような気さえして来ました。これから率先して使っていきましょー、と決断したことでした。