憐れみ深い人々は、幸いである マタイ5:7

 表題はイエスさまの「山上の説教」の中の「八福の教え」5つ目前半です。「マタイは、憐れみという言葉を“広義の同情と赦し”と解釈し更に憐れみは態度よりは行動であると考えた。」との解説に続く短文を読んで私は思わず、やっぱ聖人は見る夢も違うわぁ、と先ずは天を仰ぐ思いになった次第。以下抜粋です。

『聖テレジア(カトリックの聖人)は、かつて夢の中で走っている女性を見ました。彼女は片手に松明を、もう片方に手に水の入った桶を持っていました。テレジアが彼女にどこに行くのかを尋ねると、その人はこう答えました。「私は地獄の火を消し、天国の家を燃やしてしまおうと思っているのです。人々が、罰を恐れたり報いを得ようとしてでなく神ご自身のために神を愛するように。」』神への愛と感謝は、報いや罰の関係なく、日々の動機であるべきなのです。(マタイによる福音書:著A.M.マッケンジー)

 はい。全くその通りでございます。