報われる

 聖書教育誌1月号の「毎日のみことば/1月22日」は、ルカ16:19~24「金持ちとラザロ」からでした。この記事を読むにつけラザロの人生を想い、この人は貧しさに苦しむためだけに生まれて来たのかといたたまれない思いになります。

 しかし天に上げられたラザロはアブラハムの懐に抱かれ(口語訳)るという大きな報いを受けています。地上で受けた彼の苦難は決して無意味ではなかったのです。このことは理不尽な死によってこの世を去らなければならなかった人々の慰めであり希望です。人の一生がこの世での人生のみならず天上に準備されているその人の命とも合わせて、イエスさまは最後の審判に臨んでくださる、とルカは言うのでしょう。

 能登半島地震によってこの世を去らねばならなかった方々の霊に、大切な人を奪われて痛み悲しむ方々の心に、このことは、神の業がこの人に現れるため(ヨハネ9:3)とのイエスさまの言葉が今、届きますように。