新共同訳聖書では「エルサレムに迎えられる」という小見出しの記事が4つの福音書のすべてに掲載されています。多くのキリスト教会にてその中からテキストが選ばれ、語られて受難週の始まりが告げられる。それが「棕櫚の主日」すなわち今日です。
毎年のことながら棕櫚の主日を迎えると身が引き締まります。私にとって数ある教会暦の中で最も心改まる日ではないかと思うほど。一日一日をゆっくりとしっかりと踏みしめるように過ごしたいと毎年思います。しかし大抵は年度末の前後。この世の働きに追われて早や夜。せめてイエスさまの十字架への道行きを福音書で辿りながら天上を黙想したい…、ですが実際には睡魔との決死のバトル、無駄に疲れます(汗)。
ところで4人の福音書記者たちは、イエスさまが十字架に向かって歩き始められるこの場面をそれぞれの信仰で描き抜いています。毎年福音書を読む4月から6月または7月、今年は「ルカ」です。従って今朝もルカの福音書から。文学性が高く美しい文書を特徴とするルカによる福音書から私たちが意識して読み込みたいポイントは彼の「異邦人としての視点」です。
先週も申し上げたように私たち日本人は当時聖書世界の外側に居た者たち、存在しないも同然の者たちでした。その時代から二千年経った現代も、恣意的に存在していない者にされている人たちが大勢あることは周知の通りです。
今ここに立っておられるイエスさまのご意志は私たち目に明らか。御心に沿って一人ひとりが言動を起こすことを目指しつつ、ルカから聴いて参ります。