イエスさまが語られる喩え話の中でも難解な物語の一つです。

 この時代の「管理人」は一家の全財産の管理までも任されるほどに雇い主の信頼を得ていたようです。ところがこの喩え話に登場する管理人は主人の財産を無駄遣いしており、しかもそのことを告げ口されて解雇を言い渡されてしまいます。途方に暮れた彼は一計を案じ、雇い主から油や小麦を借りている人々を次々に呼んでは証文を書き換えさせようとします。管理人は“こうしておけば私に恩義を感じる人々が私を養ってくれるだろう”と考えたのです。

 不正に不正を重ねようとする管理人。しかし驚くべきことに18節には、主人は、この不正な管理人の抜け目のないやり方をほめた。この世の子らは自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている。
と書かれています。

 前半の主人の言葉には驚きますが、後半の言葉(下線部)は現代社会に生きるキリスト者にも十分に通用する言葉だなと私は思うのです。「この世の子ら」とはキリスト教信仰を持たない人、「光の子ら」とはクリスチャンのことです。信仰を持たない人たちは「この世を去ったあと自分はどうなるのだろうか」と真剣に考えます。これに対してクリスチャンの中には「バプテスマを受けてるから」「教会に行ってるから」を理由に、死後について深く考えず心配もしていない人たちがいます。

 もちろん死後のことは私にも(誰にも)分からないけれど光の子らはちょっと暢気すぎない?と、心配する私の心にイエスさまのやさしい助言が沁み込んできました。