イエスさまは、誰もが平和の作り手であるようにと、呼びかけておられます。預言者イザヤの言葉。2章2節から4節。
終わりの日に、主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち、どの峰よりも高くそびえる。国々はこぞって大河のようにそこに向かい、多くの民が来て言う。「主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。主はわたしたちに道を示される。わたしたちはその道を歩もう」と。主の教えはシオンから、御言葉はエルサレムから出る。主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。
改めて神さまこそが「平和そのもの」であられるという真実が心に迫って来ます。D書は、私たちにも主の山に登ることを勧めています。それは「祈る」ということでしょう。祈りの内に、神さまが私たちに平和の道を示して下さるに違いありません。祈り終えても、世界の戦争は多分終わってはいない。けれども私たち主の山に登った者たちは、自分自身の武装を解かれた者となった、とD書は言います。あなた自身が変えられた、と言うのです。
今の世界は、キリスト教の信仰を持つ指導者たちが自ら戦争を起し、数えきれない人たちを傷つけ、命を奪い続けています。こんな暴虐を、平和の神さまが見逃されるはずはない。私たちはこのことを信じて、世界の戦争が終わることを祈り続けるべきでしょう。世界に比べてこの私は余りにも貧弱で何の役にも立たないように思う。でもそんな者を見ておられるのも、全能の神さまなのです。