『イエスはこの人だけを群衆の中から連れ出し、指をその両耳に差し入れ、それから唾をつけてその舌に触れられた。そして、天を仰いで深く息をつき、その人に向かって、「エッファタ」と言われた。これは、「開け」という意味である。』

私たちは、誰もが自由人であるかのように錯角しがちですが、実際には様々な不自由さを抱えながら日々を生きている存在ではないでしょうか?自分で自分を縛り付けて生きている気がします。耳が聞こえず舌がまわらない“不自由さ”の中に彼は生きていました。イエス様は、異邦人世界を訪ね歩かれる旅の中で彼に出会い、“病”を癒されました。もちろんこの話は肉体の病の癒しのみを伝える物語ではない。むしろ内的な心のありよう、イエス様との出会いによって起こる心の変化について教えられます。

イエス様は彼1人だけを群衆の中から連れ出して向き合われました。神様と私たち人との関係は一対一で向き合うことから作られていくこと、群衆の中に埋もれた状態では神様との正しい関係はつくれないことを教えられます。イエス様は群衆から彼一人を連れ出し出会ってくださった。主からの一方的恵みです。イエス様は私たちにも同じ様に関わってくださるのです。一方、人間の側からこの出来事を見れば、怖れを感じつつも、しかし信頼をもって神様の呼びかけに応え、自分を手放し御前に立ち委ねることから神様との新しい関係が始まるという視点も教えられます。

私たち一人ひとりをイエス様は訪ねてくださり、「エッファタ」「開け」と優しく語りかけられます。