ノアと洪水物語を今日で読み終えます。神さまに祝福されて世界に増え広がった人間が全部滅ぼされるべき悪い者たちであったのに対してノアだけは、主の好意を得た、人でした。

 徹底的に神さまに従ってほとんど建造不可能と言われる箱舟をちゃんと作り上げ、神さまの命令によってこの世界を継承させる被造物たちと彼の家族だけが乗り込み、洪水という大災難を乗り越えて再び乾いた大地を踏むことが出来ました。

 9章17節まで鉄壁の信仰者ノア、たった1人の(はずの)義人ノア。そのノアの物語がちょっと残念な、というより今一つ意味の分からない終わり方をするのです。

 自分の失態を、分けても息子に見られて告げ口されて腹を立てる父親なんてどこにでもいると思うのです。頭に血が上ってキツい言葉が思わず口から飛び出してしまうこともあるでしょう。そんな日常茶飯のいわば親子喧嘩をなぜ殊更取り上げているのでしょうか。しかもノアの物語の締めくくりに。人間は神ではない。完全ではあり得ない。あのノアでさえそうだ。そう言いたいのかなとは思いますが。

 それに18節に、ハムはカナンの父である、と書かれています。そしてノアが呪っているのはカナンであって彼の裸を見たハムではないのです。カナンは呪われよ、奴隷となれ、と思い切り書かれているのですがカナンはノアに何もしていません。

 後世アブラハムが召されて目指す地がカナンです。3人の息子のうち神の歴史を担うのはセムの子孫。ユダヤ人と先住民カナン人との確執の根っこをここに持ってこようとするのでしょうか。