忍耐と慰めの源である神が、あなたがたに、キリスト・イエスに倣って互いに同じ思いを抱かせ、心を合わせ声をそろえて、わたしたちの主イエス・キリストの神であり、父である方をたたえさせてくださいますように。15:5-6

同じ思いを頂く。心をひとつにして声を合わせる。内にも外にも自ずから一体となる、という意味です。

何でも多数決で決めることは簡単です。そしてそれが平等だと思いやすい。合理的だし面倒でなくていい。しかし、多数決で物事を決めていく所に、心が一つになるという感動、そのことで声が合わさっていく、といった「一体感」が果たして生まれて来るでしょうか。生まれて来ないのではないでしょうか。

キリスト・イエスに倣って互いに同じ思いを持つという体験、霊的な経験の共有によって、内側から自然に湧きあがってくる温もりやなつかしさ。無理に合わせられたものとは全く異質の一体感を肌身に感じる時にこそ、キリスト者は一人ひとり、あぁ私はこの教会の部分なのだなぁと、イエスさまの体の小さなパーツの1個であることを、とても誇らしく思うことが出来るのではないでしょうか。この感覚は、どんなに言葉を尽くしても語り切れるものではありません。ただ、キリストに倣って生きていたい、と願う。痛い目に遭う、辛い理不尽さに泣く。その時にこそ言葉でなく誰かと心を響かせることができる。それがたとえ怯えや震えであったとしてもとにかく一体感に包み込まれる。これこそがキリスト者ならではの体験ではないのでしょうか。