苦難の中で、わたしが叫ぶと主は答えてくださった。陰府の底から、助けを 求めるとわたしの声を聞いてくださった。やっと!しかし心から、彼は神さまに感謝 を献げたのです。祈りは続きます。4節。あなたはわたしを深い海に投げ込まれた。 確かにその通りです。でも彼はそうは言いませんでした。何と言っていたか。わたし の手足を捕らえて海にほうり込むがよい。そうすれば、海は穏やかになる。わたしの せいで、この大嵐があなたたちを見舞ったことは、わたしが知っている。何でも自分 のせいにして責任を取りたがる人がいます。一見謙虚なように見えますが、その実、 稚拙な英雄気取りに過ぎません。この時のヨナがそうでした。一体自分を何者だとい うのでしょうか。しかし海に投げ込まれた途端に気絶し、気がついた時に分ったこと は、自分がまだ生きているということ。そして神さまが自分を助けてくださったとい うことでした。マルチン・ルターが、こう語っています。ヨナがもっと早く祈ってい たらこれほど苦しむ必要はなかった。しかし人は泣き叫び、嘆き、おののき、疑うが なかなか心から神に祈ることをしないものだ。切羽詰まった存在危機の中でようやく 人は神に向かって、本心から助けを求めて祈る。しかしその存在危機は彼にとっての 再出発、自己再生のチャンスになり得るのだ。実に味わい深い言葉です。預言者とは 自分を捨て去って神さまの道具に徹して生きる者のことですが、ヨナは自己中心的で 被害妄想の強い預言者でした。しかしそんな彼も命の瀬戸際に立たされた時、しがみ つき握り込んでいた自分自身が如何に頼りにならないものであったかに気づいたと思 われます。神さまはそんな私を深い海に投げ込んでくださったんだと、彼はしみじみ 感謝をこめて語っています。彼は、生まれ変わりを経験したのでした。