「7の70倍赦しなさい。そうでなければ天の父もあなたを罰せられる」と読んでしまいそうな箇所です。確かにこの世の論理は10倍返し。しかしイエスさまは天の国の譬え話をなさったのです。天の国とこの世の論理が同じであるはずがありません。神の国の赦しは条件付きなのでしょうか。私が同胞を赦すから神さまも私を赦してくださいます、本当にそうでしょうか。
イエスさまの「7の70倍」というお言葉は、赦す/赦されるという話ではないと思います。イエスさまは、「赦す」の反対語が「赦される」だとは言っておられません。神さまは無条件で私の罪を赦してくださる。既に赦してくださっている。この、不思議としか言いようのない事実に気づいた時、人は何を思うのでしょうか。その恵みの深さ、表現のしようのない有難さ。私のような忘恩の徒がこの恵みを忘れないために、この感謝を生活の中で表現していけるように、私は私に罪を犯した者を赦すことにします、赦すことが出来る自分になりますようにと祈ります。天の国とはこのように信仰を告白する国であり、祈りに満ち溢れた国なのではないでしょうか。人を赦す資格も能力もない。だけど赦されたことを感謝しないではいられない。逸る気持ちが抑えられない世界が天の国なのではないでしょうか。神の国は決して理解するものではありません。私に理解することなど出来ないという弁えをもってただ信じさせてくださいと祈る。これが信仰であり、その時そこに神の国が実現するのだと思います。