コリントで1年半以上を過ごしたパウロは、シリア州へと旅立つ(帰郷する)ために教会の人々に別れを告げ、プリスキラとアキラ夫妻と共にエフェソへと向かいました。
使徒言行録はここから、そしてパウロ書簡では3つの手紙すべてで彼らのことを書く際、妻プリスキラの名前を先にしています。
彼女の働きが夫アキラに勝っていたからといわれますが、彼らは二人三脚でよくパウロを支えました。ローマ書の中で彼はこの夫妻のことを「命がけでわたしの命を守ってくれたこの人たち」と言っています。パウロは大伝道者でしたが、プリスキラやアキラのような名もない多くの同心の友によって支えられて初めて目覚ましい活躍が出来たのでしょうね。パウロは彼らをエフェソに残して、そこにすでに出来ていた教会、エフェソ教会を任せたいと思っていたのかも知れません。
彼らはパウロが望んだとおりに成長し、エフェソ教会を支え導く存在になっていきました。また、会堂にいたユダヤ人キリスト者や改宗者、紙を崇める人たちからも、しばらくこの町に滞在してほしいと乞われましたが、「神の御心ならまた戻ってきます」と言い残し、パウロはシリアへと単身旅立ったのでした。シリア州への旅の目的は、伝道旅行の報告やヨーロッパの諸教会からのエルサレム教会への献金を渡すこと、母教会であるアンティオキア教会の兄弟姉妹たちと旧交を温めること、などであったと思われます。
第二次伝道旅行の記事は、私たちにパウロの様々な側面、人間味あふれる様子を伝えてくれました。彼が超人でも万能人間でもないことに何故かホッとしたことでした。