2年ぶりのローマ書です。ローマ教会はパウロにとって特別な群れであったと思われます。彼がこの教会の設立に一切関わらなかったことも関係していると思われます。パウロは小アジアの内陸とエーゲ海沿岸の南ヨーロッパにいくつもの教会を設立していきました。その途上に在って彼はローマ訪問の希望を口にしています。「私はローマも見なくてはならない」。世界一の大都市「すべての道はローマに通ず」との諺にまで謳われたローマでユダヤ人キリスト者を中心にいくつもの信仰の群れが出来ていた。その総称をローマ教会と呼んだようです。ローマの同心の輩(ともがら)に会いたい。彼はコリントにてこの手紙を書き始めます…。
前回は4章の終わりまで。プロテスタント教会の基本的な立場を表わすもののひとつ「信仰によって義とされる」という教義を語り終えたところまで読み終えました。今日から読み始める5章以下にはまず、信仰によって義とされた人々が始めるべき新しい生活について語られています。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む、という有名な言葉が語られる部分です。先日チラッと見たTVドラマの中での台詞が耳に残っています。「人は苦しまない方が(苦難に遭遇しない方が)いいに決まってる。」でも果たして人が苦難を避けて生きていけるのかどうか、疑問です。苦難を避けては生きられないならば…。このあとに続く言葉をローマ書から聞いていきましょう。キリスト者には「信仰は荒れ野で育まれる」などの含蓄に富んだ言葉が与えられています。