アブラムは妻のサライ、甥のロトを連れ、蓄えた財産をすべて携え、ハランで加わった人々と共にカナン地方へ向かって出発し、カナン地方に入った。
アブラムは神さまから聞かされた様々な祝福を当てにしてカナン地方へと向かったのでしょうか。そうではなかったと私は思います。神さまの召しは肉の耳に聞こえるようなものではありません。人間の五感を刺激するものは確かなようでいて実は多分に自分の感情に振り回されるものです。アブラムは霊の耳を研ぎ澄まして祈りの中で神さまの召しを聞いた。だから行動を以て応答することが出来たのでした。彼の運命のみならず、サライとロトの人生もハランからの随行者たちの人生をも引き受けて、彼はカナンの地へと入って行ったのでした。
6節には、その地方にはカナン人が住んでいたと短く書かれています。今日のパレスチナ問題の種がここで蒔かれたかも…と想像したりします。神さまはアブラムに言われました。あなたの子孫にこの土地を与えると。「あなたに」ではなかった。意味深長です。けれどもアブラムは彼に現れた神さまのためにそこに祭壇を築きました。
8節にも、ベテルとアイを望む所に天幕を張ってそこにも祭壇を築き神さまお名前を呼んだ、とあります。祭壇を築く。主の御名を呼ぶ。これらは礼拝を献げることを意味します。彼はなぜ行く先々で礼拝したのか。言うまでもなくそこに神さまがおられるからです。アブラムは神さまの遍在性を信じて疑わなかった。彼の時代にあって凄い信仰だと思います。