執事 酒井紀世子

 この言葉からイエスさまのたとえ話が始まります。

 有名な「放蕩息子」の話は「エデンの東」の映画のモチーフにも取り上げられたことがあり、人間の生き方や、人間と神との関係を深く考えさせられますが、今日は息子に視点を置くのではなくこのたとえが「失われたものを熱心に訪ね求める神」が主人公であることを念頭において学んでいきたいと思います。

 「お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかった」と喜ぶ父親=神さま。放蕩息子は彼を物としてしか扱わない世界から人格として迎え入れてくれる世界に戻ってきて、父からその過ちを赦されただけではなく、愛するかけがえのない一人の息子として迎え入れられ、喜びの宴につらなる者とされたのです。再び、父と共にある新しい生活を歩み始めた弟とその弟を受け入れることができない兄。

 二人とも父親にとっては大事な息子です。

 人は神さまから逃げようとしますが。神さまは人を追い求めるお方です。迷えば見つかるまで探してくださるお方です。

 この深い真実の神の愛こそがわたしたちの帰りゆくべきところであることに気づき、神さまがそうしてくださったように、お互いのその存在、命を喜ぶ、共に神さまが駆け寄ってくださる大切な存在として喜び合う、そんな教会でありたいと願っています。